キャリぷらスタッフブログ「全員正解」

キャリぷらスタッフのお仕事奮闘記。仕事は誰でも必ずできる!意識高くなくていいから仕事ができる社会人を目指します。

(続)幸せとは。

ここ最近はキャリぷら10周年記念投稿ばかり書いていました。
が、今日はそこからのドロップアウト投稿です。

前回、その10周年記念投稿で「幸せとは。」という記事を書きました。

tanabear.hatenablog.jp

 この投稿で私は、
「幸せと物質的な豊かさの相関性は低い」
「結局はその人の心の持ちよう、生き様であり、目の前の事実のとらえ方によって幸せにも不幸せにもなる」
というような内容のことを書きました。

しかし、世の中には、どうしてもそのように考えることができない、もしくはそのように考えることはできても実際には行動が伴わない、といった人がいることも事実。私の場合はとっても身近な存在として、まさに母がそういう人なんですね。

その母について。FBに投稿しようと思って書いたけれど、結局投稿するのをやめた文章を、「(続)幸せとは。」という位置づけでここにアップします。

憎まれ口しか聞かない母でも私にとっては母は母。
産んで育ててくれたたった一人の母だ。
だから、
できれば健やかに暮らしてほしいと願ってる。

先日、その母の引越しを終えて、
新居のそばで一緒にと桜を見上げたら、
ふいに40数年前に見上げた夜桜を思い出した。
辛いと泣く母の背中をさすったあの日のこと、
あの桜の記憶。
覚えてるか?と尋ねるやいなや、母は泣いた。
母にとってはただただ辛い過去なのだろう。
母にとっては。

何も持たず、何もなかった。
でも同時に、
不可能も不安も何もなかった。
圧倒的な不自由の中に底抜けの自由があった。
失うものは何もなく、未来は描き放題だった。
制約だらけでも縛られてはいなかった。
全ては自分次第、捉え方次第、やり方次第。
身ひとつ、工夫ひとつでなんでもやれる。
そんな環境が心地良いと感じていた。

私はあの不幸を不幸と思ったことはなく、
むしろツイてる、いや有難いとさえ思ってた。
そういう意味では、
母が生みの親で、不幸な境遇が育ての親。
少々複雑だがそんなイメージだ。
複雑ついでに、私にとっては、
育ての親よりも生みの親、つまりは不幸な境遇よりも母のほうが手強くて手強くて。

母は不幸を不幸と捉える人、いや、幸せさえも不幸せと捉える人だからだ。

48歳にして、ようやく克服できそうな、やっと出口が見えてきたような、それでいて実は一歩も前に進んでいないような。
母との確執はそれほど大きく、横たわる溝は今だとても深い。

が、しかしだ。
乗り越えてみせる。
これは私が乗り越えるべき試練であり修行であり、きっと何か意味があるのだと思えてならない。
だから、
頑なに不幸でい続けようとする母にはわるいが、残念ながらそのいちずな思いを遂げさせるつもりはない。
残された余生は幸せに過ごしてもらう。
なんとしても。

そのためには、私がもっと、もっともっと成長しなければならない。