今日は人間学を学ぶ月刊誌「致知」9月号の中の記事、「よき言葉の種を播こう」を読んでの感想を書きます。
この記事では日本人の国語力の低下について、高校の元国語教師本間さんによる日本人の国語力低下について、その日本語が直面する現実と今後についてが書かれていました。日本人の国語力の低下についていかにこの問題が根深いかを語られていて、「国語保護法」を制定すべきとまでおっしゃってます。
その記事を読んだ私の感想は「うわー、わかるー」という、まさに現代人の国語力の低さを象徴するような感想でした。
そんな私が、実はというと大学時代、国語の教員免許を取得し国語の教員になろうとしていたのですから、この問題がいかに根深いかわかっていただけるかと思います。(恥ずかしすぎて普段自分からは絶対に言いません)
話は戻って、細野さんいわく、教師時代の生徒の言葉の乱れの根本を考えると、それは「話し言葉(口語)と書き言葉(文章語)を区別しようとする意識に極めて乏しい」という点だということでした。
これは私でもピンときました。なぜなら、たなべあーがこのようなことを言っているのを散々聞いてきたからです。
仕事のいろんなシーンにおいて私も言われてきましたし、キャリぷらでの模擬面接中に学生に対してたなべあーがしょっちゅう言うのが「今きみが言ってるのは文語。これは面接なんだから口語で喋ろうね。」ということです。
あとは、「その言葉遣いは謙譲語やから相手に使ったらあかん」といったこともよく聞きます。それで思い出したのですが、キャリぷらに入社したときにたなべあーから一番最初に指摘されたのもこの謙譲語についてだったと思います。(国語の教員免許をとっていたのにw)
たなべあーは私や他のスタッフ、また学生たちに一日中日本語を指摘しているので、一日の終わりなどによく「日本人の国語力、どうなってんねん!」と言っています。そういったことを散々横で聞いてきたので、今回この記事をピックアップしました。
本間さんは「言葉によって考え、言葉によって感じる。つまり言葉は論理や情緒というような人間の意識や認識を形づくる」と書かれていますが、つまりこれは国語力がないと、考える力も落ちるということだと考えました。
私の言葉はとてもざっくりした言葉が多いので、だから考えもざっくりしているんだと思います。言葉を丁寧に扱い、言葉の意味をしっかり考えていくことで、考える力も養われていくのかもしれません。
私は国語力が乏しいこと、また考える力が乏しいことによって散々仕事で苦労してますので、これを読んだ学生はぜひぜひ社会に出る前に日本語を改めて勉強することをおすすめします!