こんにちは。
日本キャリアセンターの代表取締役社長で、街ナカのキャリアセンター「キャリぷら」代表のたなべあーです。(よろしければこちらもどうぞ「たなべあーとは?」)
今年の7月で10周年を迎える「キャリぷら」。
【地方国公立大学はじめ全国400大学以上の学生が利用し、新卒就活支援を起点に若者のキャリア支援を手掛けるプラットフォーム】ができるまでの軌跡を辿る旅。その第12回目です。
ここで書かれているような、「圧倒的な」それが必要かどうかは別として思う。
「不自由さ」や「不便さ」があったほうが、逆に手にできる「自由さ」や「便利さ」が存在するだろうということを。
インフラや仕組みなどあらゆる面において社会はより良く整備され、これまで人類が生きてきた他のどこの時代と比べても、自由で便利で安全な世界に我々は生きていると思う。
手に入れたものがあるということは、すなわち失くしたものもあるということで、耐え抜く力や考え抜く力、這い上がる力などは、そんな力を発揮することが必要とされる機会自体が、先に述べたような事情からも、相対的に著しく損失しているという側面がある。現世代を生きる人々にとっては、それら機会損失に起因するある種の弱さがあり、あるいは新たな悩みが生まれているのではないかと、日頃いろんなものを見て感じている。
就職活動をする大学生もその例外ではない。
ま、しかし、考えてみればそれは大した問題ではないかもしれない。
上に書いたような構造的な機会損失が本当にあったとして、目の前にある困難や壁がもしも本当にそれに起因するものだとしても、それこそ別の意味で不自由、不便、不安と向き合うチャンスだし、それらを乗り越える力を手に入れるチャンスになり得るのだから。
だとすればつまり、結局のところ、機会は損失していない。
昔と今では学ぶタイミングや環境、学び方が変わった。
タイミングは大事だぞという議論は横に置くとして、それだけのことだと言ってしまうことのできる。
人類、いや生き物は、種の保存、継続のために進化こそすれ劣化しているはずもなく、そういう意味でどんどん今の人がダメになっているなんていう理屈はおかしい。
下の投稿で私が書いているような状況もそうだが、辛いこと、苦しいこと、悔しいことなど生きていればたくさんある。そのたびに人は学べるし成長できる。就職活動をする学生にとってもそんなシーンはあるだろうし、起業家含め社会人も然りだ。
そして、そこで手にする学びと成長は、目の前の壁を超えるために役に立つだけではなく、その先の人生をより良いものにするためにずっと役立つ一生モノの財産になりますよ。
きっと。
今日は2012年11月17日の投稿です!