私は貧しい家庭で育ちました。
初めから貧しかったわけではなく、
家庭の事情で7歳のときに突如貧乏になりました。
比較的豊かだったころと落差があっただけに、
日々の貧しい暮らしに当初は非常に戸惑いました。
全てにおいて満たされず、本当にやってられないという思いでした。
次第に私は、そんな中で生き抜くための技を身に着けていきます。
言い換えればそれは、「今あるもので十分だ」と思い込むチカラでした。
取るに足りない身の回りの出来事の中に、幸せを見出すプロになっていきました。
足りなくても、足りていると思えばどんな環境でも幸せでした。
「ある」ものに目を向けて、しっかりと幸せを感じながら、
「ない」もので手に入れたいものはなにか?
そのためには何をすればいいのか?
と冷静に考えて行動に移してきました。
とても大人じみた子どもでしたね。
さぞかしかわいげのない子どもだっただろうと思います。
そうして時が経ち、48歳が目前に迫った今、また思っています。
あるものにちゃんと目を向ければ、なんて恵まれていることだろう、と。
幸せな人生だな、と。
もともとほとんどのものが「ない」ところからはじまっただけに、
ずいぶんといろんなものを手に入れてきました。
手に入れてから、また失ってしまったものもたくさんあります。
失ったもの、今「ない」ものの中には、ほしくて仕方がないものもあります。
なくて悲しいと思うこともしばしばです。
でも同時に思います。
「ない」からそう思うのかもしれない、と。
手に入れてしまうと、有難さは薄れ、当たり前になってしまう、と。
実際そうなっていた過去の自分を思い出したりして、そんなふうに思います。
昔から「足るを知る」と言いますが、本当にその通りだと感じています。
手に入れて当たり前のことになるくらいなら、
しっかりとその幸せを感じられるものだけあればいいのだと思います。
そういう意味では、自分の器の大きさに見合うものが「ある」のでしょう。
「ない」ものをほしがるくらいなら、自らを高める努力をすればいい。
そんなふうに考えるとスッキリします。
成長し続けるには、足りないくらいがちょうどいいんです。