「人生を照らす言葉 連載138」
~あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。芥川龍之介『羅生門』~
を読んでの感想を書きます。
「ギリギリの状況にあっても人として最高の選択ができる素晴らしい存在でありたい。」自分で素晴らしい人になりたいというのは少し変ですが…。でもそのあれるように日々の行動を見直そうと思える話でした。
具体的には、日本で起きている現状を『羅生門』の話にでてくる「下人」と「老婆」の行いと結び付けながら今、私たちには知恵を働かせて選択することが求められているというような内容でした。
記事の中に、「誰もが善い部分と悪い部分を持ち合わせていること。善悪の物差しは人によって異なること。だから自分の思い込みを捨てて事実に向き合わないといけない。そして互いに長所や欠点を認め合うことが大切。」とありました。
それはは分かりますが、だからって相手を思いやる最高の選択を、今の私はできていません。
余裕がないと相手にきつくあたってしまうし。自分が楽をしたいと思うこともありします。
結果的に、相手を思いやる気持ちを大切にできないことがよくあります。
でも、たなべあーは違うんです。食事に行っても「お前は何が食べたいねん。何と何で迷っとんねん。」と必ず聞いくれます。そして、その2つを注文して、半分こにしてくれます。
昨日は、私がチーズケーキが食べたいと言っていたら、チーズケーキを含む3種類の違うケーキを買ってきてくれました。どの味も食べたいけど全部は食べれないな、と考えていたら、全部半分こにして3種類食べようとたなべあーのほうから言ってくれました。
さらには、「特に食べたいやつは大きいほうをとってええぞ」と言ってくれるんです
2回とも食べ物の例というのが私らしいですが。笑
日頃からたなべあーの近くで仕事をしていて思うのは、ここ一番というときに、相手を思いやりながらお互いが善くあれる選択ができるかどうかというのは、こういった日常の些細なことの積み重ねなんだろうな、ということです。
私も日常の些細なことから少しずつ取り組んで、そんな人間になれるように精進していきたいです。